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院長ブログ

2013年7月29日 月曜日

戦いの後

交通事故治療、むち打ち治療、おうせ整骨院におまかせください。

 
日曜日には八重の桜を見ています。

今週は降伏した後の会津の人々がテーマでした。

会津の家老の山川家の話です。

長男は軍の指揮官になって活躍します。しかし、戦争に負けそうになって、

負けて帰ってきた弟に腹を切れと迫ります。母親が止めに入って

事なきを得ますが、戦争の興奮状態がそうさせたのでしょう。

山川家の長男も次男も優秀だったらしいです。

会津戦争が終わってから一年たって、山川家は二男を

長州に書生として預けます。

自分の国を滅ぼした長州に二男を預けます。

あっさりと話は進みますが、大変な決断だと思います。

敵の国に子供を預けるという決断。

もし、日本が戦争をして、この国に爆弾、ミサイルが飛んできて、

山や川、自然を壊された後、友達や家族を殺され、

何百万人も日本人が死んだ後に、降伏して負けた後に、

戦争を仕掛けてきた国に自分の子供を預けられるのか?

子供の才能を開花させるために敵国に子供を預けられるのか?

大変な決断をしないといけないと思います。

考えただけどでも辛いです。

私にそれができるのでしょうか?

山川家は二男を長州に預けます。

二男は勉学に励み、アメリカに留学して、その後、東大の総長になるそうです。

当時の会津出身では大出世を果たします。

結果的には山川家の判断は正しかったのでしょう。

八重の桜はこれから明治の話になっていきます。

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2013年7月24日 水曜日

夏休みとカブト虫

交通事故治療、むち打ち治療、おうせ整骨院におまかせください。

 

夏休みが始まりました。

小学1年生の長男の初めての夏休み。

初めての通知表、初めての夏休みの宿題、学童保育

小学生の時が懐かしいです。

かすかな記憶の中に夏休みの思い出があります。

私が子供の頃は、夏休みは休みだから、勉強はしない

と思っていたような気がします。

勉強や学校の事をいかに忘れることが出来るかを

競っていたような感じです。

登校日には学校の道順を忘れるくらい遊んでたと思います。

でも、最近の子供は真面目に学童保育に行ってます。

学童で勉強してから、遊んでるみたいです。

昔、私は夏休みは友達とカブトムシとクワガタを取って遊んでいました。

山に入るとたくさんのカブトムシクワガタスズメバチが僕らを

(スズメバチに顔を刺されて別人のように腫れました。)

出迎えてくれて、木を蹴ったりして落ちてくる虫たちを取ってました。

昔はカブトムシクワガタもすぐに死にました。

そしたら、また虫を取りに山に行きました。

大きくなって、カブトムシがデパートに並ぶ、ことを聞くと

「誰がカブトムシを買うんだよ」って思ってました。

故郷を遠く離れ、新しい街に住み始めると、

どこに行けば、カブトムシがいるのか分かりません。

そして、とうとう、私はカブトムシをデパートで買いました。

子供はとても喜んで、名前を付けていました。

宮崎の故郷のお墓で眠っている父の声が聞こえそうです。

なんで、カブトムシを金出して買ってるんだよ」と。

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2013年7月7日 日曜日

河北の地と会津の血

 

昨日も八重の桜見ました。

昨日の内容は弾薬も兵士も足りない負け戦をどうするか?

家老の一人は降参しましょうと訴えます。

残りの家老は会津の民がたとえ滅んでも戦うと叫びます。

降参しようと訴えた家臣は腰抜け、弱虫と言われ、

玉砕を叫んだ家臣は興奮状態です。

悲しい話です。

東北地方を河北の地とも言います。

河北の地・・・とは会津戦争の後、新政府から「白河より北は100文の価値もない

         と蔑まれていた事に由来する、 白河とは会津の入り口

          東北地方の蔑称。

その河北のという屈辱的な言葉をあえて社名につけ、東北の意地と魂を

喚起する新聞社が明治30年創刊しました。社名は河北新報

東北を愛した初代社長から血と魂を受け継ぎ、現社長は4代目です。

河北新報・・・東北地方を代表する新聞。 宮城県では70パーセントを超える

         普及率です。東北放送というテレビ、ラジオ局も持ってます。

この新聞社が一躍有名になったのは、あの東北の大地震と大津波です。

津波の次の日には新聞を作って、配達しました。

取材スタッフも死に販売員も死に道路も分断されていたのに

新聞を配りました。宮城の人々は、水やパンや毛布など命に係わる物資と

同じように、配達された新聞に喜び、勇気をもらいました。

この話はドキュメンタリーになっています。

河北新報の一番長い日」という本にもなってます。

今、その河北の地から若くて、強い囲碁棋士が現れました。

名前はと言います。どれだけ強いかというと

200年に一度の大棋士と言われている現五冠の井山裕太が

残した伝説を踏襲しているのです。

200年に一度の大棋士がそんなにたくさんいるのかい?

と思うかもしれませんが、いたのです。

桑原本因坊が言いました。

囲碁を打つには2人いるのじゃよ、神の一手を打つためには

等しく優れた才能を持つ者が二人いる。」と

遼 君は今連勝街道ばく進中です。

今年、高校生になったばかりの16歳

遼君は5歳で囲碁を覚え、小学2年生で院生になりました。

小4年の時に母親も上京し、本格的にプロを目指しました。

遼君の父親は代々続く会社の社長をしていました。

遼君も将来は会社を継ぐと思ってました。習い事の一つとしての囲碁、

しかし、

囲碁の魅力に取りつかれた遼君は本気で囲碁棋士に

なりたいと思いました。

反対を覚悟で父親にプロの囲碁棋士になりたいと相談しました。

父親は言いました。

会社の社長なんて誰でもできる、

囲碁のプロ棋士は才能のある人しかできない

君にその才能があるなら、自信を持って目指しなさい」

遼君は中学一年、13歳ででプロになりました。

これから頑張るぞ

と思っていた矢先、東北の地震が起こりました。

自分の故郷が津波に襲われている、

お父さんや会社の社員さんたちはどうなったのだろうか?

僕は囲碁など打っていていいんだろうか?

テレビでは毎日東北地方の惨劇を伝えています。

心配と不安で中学一年生の遼君の胸は張り裂けそうでした。

数日たって、お父さんの無事と会社の人々の頑張りを聞きました。

やっとつながった電話で父親は言いました。

私は私ができることを懸命に頑張る。

 遼、お前も自分ができることをしろ」

僕にできることは何か?

「僕にできることは囲碁を打つこと

まだ僕は弱いけどもっと強くなって、僕を知ってる東北の

人々にに少しでも勇気を与えれるようになる」

と決意を新たにしました。

天性の才能と努力と

河北の地と呼ばれた東北の人々の血と魂の融合で

今、遼君は井山裕太を彷彿とさせる活躍ぶりです。

井山裕太が16歳の時初めて取ったビッグタイトルが阿含杯。

今、その阿含杯の本戦が行われています。

遼君はベスト16まで勝ち上がり、本選で結城聡十段とあたりました。

結城十段は井山さんから十段のタイトルを奪い取った人です。

この間のアジアテレビ杯にも井山裕太と共に日本代表で戦いました。

大阪の棋士ですが関西では怪物と恐れられている棋士です。

プロ棋士でも結城十段に勝ったことがない棋士はたくさんいます。

今回初手合いでしたが、遼君は見事、勝ってベスト8に進出したのです。

囲碁は強い人が勝つ、と言わています。

プロの世界では、まぐれ勝ちはほとんどありません。

歳は井山裕太の時と同じ16歳です。

彼の名前は 一力遼 東北では有名な苗字です。

河北の名を付けた新聞社、

河北新報を立ち上げた一力健治郎の直系

現 河北新報の社長の息子が 一力遼君なのです。

今後の彼の活躍が楽しみです。

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2013年7月6日 土曜日

エジプトと日本

エジプトで大規模なデモがあってるようです。

もともと独裁政権だったエジプトの国民が

民主化要求のデモをおこし

軍部が大統領に反して国民の側につき、

大統領を追い出し、選挙をして、憲法をつくり、

新しい大統領を選びました。

そしたら、新しい大統領の反対派の国民がデモをして、

軍がそちらの見方をして、選挙で選ばれた大統領を

捕まえて、クーデターを起こしました。

これからエジプトかどうなるのでしょうか?

日本の政治はこの6年間壮大な社会実験を行いました。

参議院でねじれを起こさせ、法案が決まらない状況をつくり

責任を取って首相の首を何度も切り落とし、

三年前に政権交代が起こりました。

去年衆議院で自民党が大勝し、今回、参議院選挙でも

自民党が勝ちそうです。

6年間の社会実験の結果、日本はこれからどのような国に

なるのでしょうか?

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2013年7月4日 木曜日

ベストセラー作家

最近テレビに良く出るベストセラー作家と言えば

百田尚樹ですね。売れに売れてるみたいです。

永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」を書いた人です。

彼は囲碁にも造詣が深く、アマ5段らしいです。

また、息子に江戸時代の本因坊の名前を付けています。

そして、その息子をプロの囲碁棋士にさせるべく

日本棋院の院生にならせていました。

プロにはならなかったけど大学の囲碁界では

少し有名だったみたいです

永遠のゼロは読みました。内容はやはり泣きそうな内容です。

ゼロ戦の飛行機乗りの話です。

主人公が囲碁を打つ場面があります。

別の小説で読んだのですが、特攻の飛行機乗りの中には

囲碁がとても強い人がいた。特攻の前の晩に整備兵と囲碁を打っていた。

夜中まで囲碁を打つ碁盤の音が響いたという話は読んだことがあります。

同じ文献から作った小説なのでしょう。

子供の頃、兄の部屋で読んだ本宮ひろしの

ゼロの白鷹」にも似てました。どちらも感動的な話です。

私はいつか百田さんが囲碁を題材にした小説を

書いてくれないかなと期待してました。

子供をプロ囲碁棋士にしたいと思う人なら、

囲碁の小説を書きたいと思うはずだと

もし、それが現実になったら、奇跡の漫画「ヒカルの碁

のようになるのではないでしょうか

百田さんも今日本における囲碁の危機的状況を知っているはずです。

この間、雑誌の取材で百田さんが囲碁を題材にした小説の構想を練っている、

と言ってました。耳を疑いました。チャンスです。

早く書いてほしいです、そして、売れてたくさんの人に読んでほしいです。

囲碁の未来が明るくなりますように、、、。

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2013年7月3日 水曜日

晩餐会で

中国と韓国が6月27日に首脳会談をしたそうです。

夜の晩餐会で習近平国家主席が、朴クネ韓国大統領に

中国のプロの囲碁棋士を紹介しました。

「今までは、韓国の囲碁が世界一の時代もありましたが、

これから囲碁界は中国を中心に回っていきますよ、ハハハ

両国が切磋琢磨してアジアの囲碁を発展させていきましょう

中国、韓国は囲碁の普及を国策でやっています

日本も囲碁の普及に乗り出してほしいものです。

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2013年7月2日 火曜日

会津と桜と愛国心

 

日曜日はNHKの大河ドラマを見ています。八重の桜です。

あまり、人気はないみたいですね。だって、悲しすぎるから、、

4週に渡って会津戦争を取り上げるみたいで、この間は、

綾瀬はるかが男装してミニエー銃を持って戦ってました。

江戸時代の話ですからね、女性が銃を持って戦うとは、、

会津の人々は並々ならぬ愛国心を持って戦いました。

愛国心を作ったのは会津の教育です。

子供も女性も老人もみんな会津のために死ぬ覚悟が出来ていました。

覚悟が出来ているだけなら美しい話ですが

会津の人々は実際に死んでいきました。

あるものは銃弾の嵐の中に飛び込んで死に

あるものは腹を切って自害し

女性も集団で母親が自分の幼い子供を刺殺し

自分も首を突いて死んでいきました。

私は中学生くらいの時に会津戦争の話を聞いた時に

こう思いました。「愛国教育は恐ろしい

今から30年前は太平洋戦争を経験している人もたくさんいましたし、

全体的に反戦ムードが高かったですね。

子供心に周りの雰囲気を感じるとこんな感じでした。

「太平洋戦争は日本が悪かった。日本は韓国や中国の人々に悪いことをした

謝らなければいけない。昭和初期の日本は本当に悪かった。

戦争はもう嫌だ。どんなことがあってももう戦争をしてはいけない。

戦争は悪だ、悪だ、悪だ、

戦争より悪いことはこの世にない。」

そして、

戦争をするかもしれない愛国心を教えてはならない

実際、小、中、高、学校で愛国心の話など聞いたことはありませんでした。

聞くところによると、戦後、団塊の世代からずーっと愛国教育をしていないそうです。

今はネットの発達によって、過去の情報を知ることができます。

明治時代の世界大戦(、日清、日露)、や昭和初期の世界大戦、(太平洋戦争)

調べて見ると、驚きや発見があります。

細かいことは書きませが 世界大戦は何でもアリの狂った戦争だった。

世界中が狂った時代だったのでしょう。

日本だけが悪かった戦争ではないはずです。

愛国心とは何か?戦争をするための心なのか?相手国を攻めるための心なのか?

いや、違うはずです。

日本はいい国だよ、日本人に生まれてよかったとか、日本の歴史を共有してるとか、

故郷が好きだとか、山が川が海が空が好きだとか、

そんな思いの総合だと思います。

そこにあるやさしい気持ちを戦争に利用する為政者が悪いのです。

しかし、日本は独裁国家ではないので選挙で選んでいるのは

国民です。

為政者が戦争を始め、国民が戦争で死ぬ、です。

戦争に利用されない愛国心を子供たちに教えるには

どうすればいいか?悩むところです。

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2013年7月1日 月曜日

日はまた昇る

6月24,25日に囲碁の本因坊の第5戦がありました。

結果は井山本因坊の中押し勝ちです。

高尾9段は懸命に頑張りましたが、井山さんが上のようです。

勝敗は井山本因坊の3勝2敗です。4勝した方が勝ちます。

ここから逆転は難しいでしょう。

昨日の日曜日に教育テレビで、テレビアジア早碁選手権がありました。

日本、韓国、中国のテレビ囲碁の優勝、準優勝者が
 

アジア一位をかけて戦います。

日本は今、アジアでは勝てません。

20年ぐらい前は日本人の連覇が続いてました。

ここ10年くらいは日本人の優勝はありません。

今、23歳の井山裕太が10年前13歳でプロになったばかりの年からです。

井山裕太は5歳で囲碁を覚え、小学2年、3年とNHKの子供囲碁名人戦を

連覇して、天才少年現る、と言われてました。

小学生で一番強い、と本人も思っていたでしょう。

大人たちも蝶よ花よとちやほやしました。

実際、今は賞金だけで1億円を超えているので、大人たちの

思惑も正しかったのでしょう。

本人も少し天狗になっていたそうです。

小学生の時、日本棋院の計らいで、中国棋院の小学生の部みたいな所に

に夏休みだけ参加しました。

そこで井山裕太は中国の巨大な龍の集団を目の当たりにしました。

巨大な国家が国の威信をかけて、子供たちを育てるということを。

共産主義の大国が目標に向かって走って行く怖さを。

10億人から選ばれた地方の天才少年が中央に集められて

現役のプロから鍛えに鍛えに鍛えまくられる。

子供たちは限界ぎりぎりまで、(限界を超えているかもしれません)鍛えられて

それに耐えられなくてつぶれた少年は容赦なく地方に帰らされる。

そんな虎の穴のような養成機関を勝ち抜いてきた少年が

中央に集まっています。

井山裕太は天狗の鼻を折られてしまいました。

負けて負けて負けまくったそうです。

このままでは日本の囲碁はダメになる、少年は肌で感じました。

なぜなら自分より年下の子が自分よりもはるかに強かったから

日本の囲碁はぬるま湯に浸かっている、このままでは日本の囲碁は

アジア最低に落ちてしまう

10歳を超えたばかりの少年は危機感を胸に帰国しました。

日本で一番になっても駄目だ、中国、韓国にに強い人はたくさんいる

世界で一番にならなくては、学べる事からは何でも学ぼうと

その当時、囲碁界の大人たちは、日本が囲碁が弱くなるはずないよ

韓国も中国も汚い碁を打つからさ、とタカをくくっていました。

碁は芸術だから勝てばいいってもんじゃないよ

それから10年間日本は中国、韓国、台湾から馬鹿にされるくらい弱くなりました。

日本が輝かしい勝利を収めていた時代は今から30年くらい前です。

日本の未来が明るいと言われていた時代、

ジャパン アズ ナンバーワン と言われていた時代。

もう一度、日を昇らせるために

この間、囲碁のナショナルチームが発足しました。

井山裕太は本因坊戦の合間をぬって、テレビアジア戦に出場しました。

ナショナルチームの募金も続々と集まっているらしいです。

日本中の囲碁ファンから集まってくる3000円が積み重なって

寄付をしてくれた人の人数や金額が積み重なって

棋士の励みになっているはずです。

テレビ囲碁アジア選手権決勝戦

ここで井山裕太に優勝してほしい、プロ棋士も、ファンもsaiもヒカルもアキラも

そう思ったのでしょう。勝ちたいと井山裕太本人も強くそう思ったはずです。

そして、、見事、、井山裕太は優勝しました。

解説の女流棋士もうれしくてのどを詰まらせていました。

準決勝で敗れた、結城聡 十段も目を真っ赤に腫らしてました。

井山さんの優勝を喜んだ涙ではなく、

自分が負けたことの悔しさ、優勝の場所に自分がいない悔しさ

真っ赤に腫れた目の奥の闘志がギラギラと輝いていました。

日本の囲碁棋士の闘志に火がついたと思います。

囲碁界にとって分岐点となる一日でした。

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